ちょっと良い出会い
2010年 12月 22日
さて、南アフリカからタンザニアのダルエスサラームに到着した私達。
ケープタウンやヨハネスブルクのような現代的な空港を後にした私達が着いたのは、蒸し暑く薄暗い、なんだか活気のないタンザニアの空港なのでした(それでも国の最大空港)・・・。
「あ~あ、帰ってきちゃったね 」とお互い苦笑い・・・。
で、ビザの申請をしているとき、ある男性がごん兵に声をかけてきました。
その人は白人でオーストラリア生まれだそうですが、ニュージーランドに長く住んでいたようで、ごん兵のアクセント(オーストラリアとニュージーランドの混ざり)を聞き興味を持ったようです。
彼は海外で働いててタンザニアに住むパートナーと子供たちに会いに帰ってきたとのことで、お互いの自己紹介だけしてほんの5分くらい話をし別れました。
私達はごん兵の会社のチャーター飛行機の都合で、ダルエスサラームに3泊することになっていて、夜9時ごろホテルに到着。
そして翌日、海辺を散歩しながら近くのヨットクラブの前を通りかかった時、なんとそこに空港で会った彼が家族と一緒にいました。声をかけられた時は、一瞬誰だかわからず、二人とも名前すらも忘れていたのでした。(恥)
彼のパートナーと子供二人を紹介され、少しだけ話をしたのですが、子供達が眠そうで "家に一旦帰らなければならないけど、夕方よかったら同じ場所でピザ&ビールでもどうですか?"と誘われ、また夕方に会うことになり別れました。
で、その子供達(黒人)が南アフリカから養子として迎え入れた子達だったのです。
そして、彼らと一旦別れた後、ごん兵がまず口にしたこと
「あーびっくりした!あのパートナーのNさん、俺の姉ちゃんの若いときにそっくりだ!一瞬そうかと思ったくらい 」
確かに目元が似てるかな?と言う感じでしたが、彼曰く ”そっくり”だったんだそうです。
そして夕方、元気になった子供達と再会し、ヨットクラブの海辺のバーでビールを飲み子供達と遊んだり、いろいろな話をしました。
なんとそのパートナーのNさん、ニュージーランド生まれで偶然4人ともニュージーランドと言う共通点があり話もはずみました。
そして子供達の養子についてもいろいろと話を聞くことができ、南アフリカに行って来たばかりの私達はかなり興味深く話を聞いたのでした。
Nさんは最初に上の女の子が赤ちゃんのときに養子に迎え入れたそうで、今その女の子Zちゃんは4歳。そして下の男の子A君は2歳。
聞いた話だと、孤児院から養子としてもらわれていく子供は圧倒的に女の子が多いんだそうです。そして小さければ小さいほど里親が見つかりやすいと。(女子は人気!)
男の子はどうしても残されがちだそうで、実はその下の子A君は孤児院ですでに2歳近くなっていて、里親が見つかる可能性がかなり低い子供だったんだそうです。(男子かわいそう・・・)
Nさんは”エイズ感染なしの子供”と言う条件だけを出し、男の子でも女の子でも何歳でもOKと言う心の大きな人で、そんな人のところに来たのがA君だったわけです。
Nさん曰く、「あれで私が迎え入れなければ、彼がもらわれていく可能性はどんどん低くなる一方だから」 と。
更に驚くことに、Nさんは最初の子供を迎え入れたときは、今のパートナーと会っておらずシングルだったらしいです。そして二人目を迎え入れるときには彼がいたらしいんですが、その決断はほぼ自分だけで決めたという、すごい意思を持った女性です。
「自分が60、70歳になったとき、あーすればよかった、と言う後悔はしたくないと思ったのよ」
と自分に子供が欲しいと言う強い意思が、「孤児の養子」と言う選択をさせたようです。
で、私。
私は子供が基本的に好きだし、子供に慣れている(自負)ので子供と遊ぶのも上手(あくまで自負)だと思う。甥っ子達の子守りをしたせいもあるけど、基本的に子供を見るとさらわずにはいられない。
なので、もちろん彼らとも遊びます。はい。
彼らもすっかりなつき、私の名前も覚え、海からハートの貝殻を拾って来てくれたり、カメラで写真の撮りっこしたりして遊びました。
で、A君、私の膝に抱っこさり、撮った写真を見ていて「これはお母さん、これはお姉ちゃん」と指差して言っていたのですが、カメラの私の顔を指差し
「これは、、、、パーパ」
は?今、Papaって言った?
実はNさんとパートナーは結婚していないせいなのか、子供たち、男性のパートナーのことは名前で呼んでいました。もちろん呼び捨て。(「お父さん」ではなく「マイク(例)」)と呼ぶ)
Paーpaと言う言葉が、日本と同じくお父さんと言う意味なのか、スワヒリ語で何か言おうとしているのか、それとも南アフリカの言語で言ったのかわかりません。英語だとDaddy とかDadだからね。
何度も、「これは〇〇でしょ?(私の名前) パパじゃないでしょ?パパってなんなの?」
と聞きましたが、彼はなんとしても認めません。
「ノー!これはパーパなの!」
どうして?と聞いても「どうしても!」と・・・
結局お母さんのNさんも理由がわからず、「はいはい、じゃあこれはパパね」とカメラの中の私はパパとなりました。不思議なのが、パパと呼ぶのは写真の中の私だけで、普通に私を呼ぶときはちゃんと名前を呼ぶ。
Nさん曰く、彼は自分が孤児院に居た記憶がしっかりありいろんなトラウマを抱えているらしく、とっても繊細なんだそうです。だけど、やっぱり男の子、かなりやんちゃ坊主。
A君、私の膝から降りようとせず、何度も鼻水たっぷりの口で私のほっぺにぶちゅ~とキスしてきて、おしっこも私とじゃなきゃヤダ、とまで言ってました。車に乗るときごん兵が代わりに抱っこしたら大騒ぎ。ごん兵慌てて私に返してきました。
たった2時間くらい一緒だっただけなのに、何故か親近感を持った家族で、A君の懐きよう、ごん兵の姉にそっくりのNさん、そしてみんなNZつながりと、不思議な縁を感じた出会いでした。
ダルエスサラームに来た時には是非また会いましょう!と言うことで別れました。
ちなみにNさんは、仕事で世界各国(主に発展途上国)に行っているとってもパワフルで情熱的な女性です。
彼女の話によると、南アフリカの孤児院には沢山の孤児(黒人)がいるそうで、もちろんすでにエイズに感染している子供達もいるらしいです。
ちゃんとした里親に引き取られる子供達は幸せだ。
Nさんの話を聞き、いろんなことを考えさせられた時間でもありました。
海で遊んだあと身体を拭いてもらっているやんちゃ坊主A
あ、おまけの写真
私達のそばで遊んでいたとーーってもカワイイ女の子たち
独特のショールの巻き方が何とも言えずステキだ~
・・・と、言うわけで、私達にとってはちょっと不思議に感じる出会いでした。
翌日のダルエスサラームでは、とーっても新鮮な市場へ行きました!(いろんな意味で新鮮!!!)
鼻をつまんでご用意くださいませ。
つづく
クリックありがとう!
ケープタウンやヨハネスブルクのような現代的な空港を後にした私達が着いたのは、蒸し暑く薄暗い、なんだか活気のないタンザニアの空港なのでした(それでも国の最大空港)・・・。
「あ~あ、帰ってきちゃったね 」とお互い苦笑い・・・。
で、ビザの申請をしているとき、ある男性がごん兵に声をかけてきました。
その人は白人でオーストラリア生まれだそうですが、ニュージーランドに長く住んでいたようで、ごん兵のアクセント(オーストラリアとニュージーランドの混ざり)を聞き興味を持ったようです。
彼は海外で働いててタンザニアに住むパートナーと子供たちに会いに帰ってきたとのことで、お互いの自己紹介だけしてほんの5分くらい話をし別れました。
私達はごん兵の会社のチャーター飛行機の都合で、ダルエスサラームに3泊することになっていて、夜9時ごろホテルに到着。
そして翌日、海辺を散歩しながら近くのヨットクラブの前を通りかかった時、なんとそこに空港で会った彼が家族と一緒にいました。声をかけられた時は、一瞬誰だかわからず、二人とも名前すらも忘れていたのでした。(恥)
彼のパートナーと子供二人を紹介され、少しだけ話をしたのですが、子供達が眠そうで "家に一旦帰らなければならないけど、夕方よかったら同じ場所でピザ&ビールでもどうですか?"と誘われ、また夕方に会うことになり別れました。
で、その子供達(黒人)が南アフリカから養子として迎え入れた子達だったのです。
そして、彼らと一旦別れた後、ごん兵がまず口にしたこと
「あーびっくりした!あのパートナーのNさん、俺の姉ちゃんの若いときにそっくりだ!一瞬そうかと思ったくらい 」
確かに目元が似てるかな?と言う感じでしたが、彼曰く ”そっくり”だったんだそうです。
そして夕方、元気になった子供達と再会し、ヨットクラブの海辺のバーでビールを飲み子供達と遊んだり、いろいろな話をしました。
なんとそのパートナーのNさん、ニュージーランド生まれで偶然4人ともニュージーランドと言う共通点があり話もはずみました。
そして子供達の養子についてもいろいろと話を聞くことができ、南アフリカに行って来たばかりの私達はかなり興味深く話を聞いたのでした。
Nさんは最初に上の女の子が赤ちゃんのときに養子に迎え入れたそうで、今その女の子Zちゃんは4歳。そして下の男の子A君は2歳。
聞いた話だと、孤児院から養子としてもらわれていく子供は圧倒的に女の子が多いんだそうです。そして小さければ小さいほど里親が見つかりやすいと。(女子は人気!)
男の子はどうしても残されがちだそうで、実はその下の子A君は孤児院ですでに2歳近くなっていて、里親が見つかる可能性がかなり低い子供だったんだそうです。(男子かわいそう・・・)
Nさんは”エイズ感染なしの子供”と言う条件だけを出し、男の子でも女の子でも何歳でもOKと言う心の大きな人で、そんな人のところに来たのがA君だったわけです。
Nさん曰く、「あれで私が迎え入れなければ、彼がもらわれていく可能性はどんどん低くなる一方だから」 と。
更に驚くことに、Nさんは最初の子供を迎え入れたときは、今のパートナーと会っておらずシングルだったらしいです。そして二人目を迎え入れるときには彼がいたらしいんですが、その決断はほぼ自分だけで決めたという、すごい意思を持った女性です。
「自分が60、70歳になったとき、あーすればよかった、と言う後悔はしたくないと思ったのよ」
と自分に子供が欲しいと言う強い意思が、「孤児の養子」と言う選択をさせたようです。
で、私。
私は子供が基本的に好きだし、子供に慣れている(自負)ので子供と遊ぶのも上手(あくまで自負)だと思う。甥っ子達の子守りをしたせいもあるけど、基本的に子供を見るとさらわずにはいられない。
なので、もちろん彼らとも遊びます。はい。
彼らもすっかりなつき、私の名前も覚え、海からハートの貝殻を拾って来てくれたり、カメラで写真の撮りっこしたりして遊びました。
で、A君、私の膝に抱っこさり、撮った写真を見ていて「これはお母さん、これはお姉ちゃん」と指差して言っていたのですが、カメラの私の顔を指差し
「これは、、、、パーパ」
は?今、Papaって言った?
実はNさんとパートナーは結婚していないせいなのか、子供たち、男性のパートナーのことは名前で呼んでいました。もちろん呼び捨て。(「お父さん」ではなく「マイク(例)」)と呼ぶ)
Paーpaと言う言葉が、日本と同じくお父さんと言う意味なのか、スワヒリ語で何か言おうとしているのか、それとも南アフリカの言語で言ったのかわかりません。英語だとDaddy とかDadだからね。
何度も、「これは〇〇でしょ?(私の名前) パパじゃないでしょ?パパってなんなの?」
と聞きましたが、彼はなんとしても認めません。
「ノー!これはパーパなの!」
どうして?と聞いても「どうしても!」と・・・
結局お母さんのNさんも理由がわからず、「はいはい、じゃあこれはパパね」とカメラの中の私はパパとなりました。不思議なのが、パパと呼ぶのは写真の中の私だけで、普通に私を呼ぶときはちゃんと名前を呼ぶ。
Nさん曰く、彼は自分が孤児院に居た記憶がしっかりありいろんなトラウマを抱えているらしく、とっても繊細なんだそうです。だけど、やっぱり男の子、かなりやんちゃ坊主。
A君、私の膝から降りようとせず、何度も鼻水たっぷりの口で私のほっぺにぶちゅ~とキスしてきて、おしっこも私とじゃなきゃヤダ、とまで言ってました。車に乗るときごん兵が代わりに抱っこしたら大騒ぎ。ごん兵慌てて私に返してきました。
たった2時間くらい一緒だっただけなのに、何故か親近感を持った家族で、A君の懐きよう、ごん兵の姉にそっくりのNさん、そしてみんなNZつながりと、不思議な縁を感じた出会いでした。
ダルエスサラームに来た時には是非また会いましょう!と言うことで別れました。
ちなみにNさんは、仕事で世界各国(主に発展途上国)に行っているとってもパワフルで情熱的な女性です。
彼女の話によると、南アフリカの孤児院には沢山の孤児(黒人)がいるそうで、もちろんすでにエイズに感染している子供達もいるらしいです。
ちゃんとした里親に引き取られる子供達は幸せだ。
Nさんの話を聞き、いろんなことを考えさせられた時間でもありました。
海で遊んだあと身体を拭いてもらっているやんちゃ坊主A
あ、おまけの写真
私達のそばで遊んでいたとーーってもカワイイ女の子たち
独特のショールの巻き方が何とも言えずステキだ~
・・・と、言うわけで、私達にとってはちょっと不思議に感じる出会いでした。
翌日のダルエスサラームでは、とーっても新鮮な市場へ行きました!(いろんな意味で新鮮!!!)
鼻をつまんでご用意くださいませ。
つづく
クリックありがとう!
by mikiume-nz-africa
| 2010-12-22 01:35
| 旅〜南アフリカ